地下の洞窟で、兵士たちが家族へ手紙を書いています。「必ず帰る」とは書けない手紙です。アメリカの監督が、日本兵の目から描いた硫黄島の戦い。この記事では、手紙に込められた思いと、「敵にも家族がいる」という視点を考えます。
- 1917 命をかけた伝令
- 西部戦線異状なし
- ダンケルク
- シンドラーのリスト
- 硫黄島からの手紙(この記事)
- ガンジー
- ブリッジ・オブ・スパイ
- ホテル・ルワンダ
硫黄島の地下からは、戦後になって、兵士たちが書いた届かなかった手紙が見つかりました。映画は、その手紙を書いた人たちの日々を想像して描いています。
➡ 一人ひとりの兵士にも、家族や仕事や夢がありました。「兵士」である前に「一人の人」だったのです。
硫黄島は、東京から約1200km南にある小さな島です。太平洋戦争の末期、アメリカ軍にとって本土空襲のための重要な拠点でした。
- 📅 1945年2月19日〜3月26日アメリカ軍が上陸し、約1か月以上にわたる激しい戦いになりました。
- ⛏️ 地下の陣地日本軍は島じゅうに地下坑道を掘って戦いました(完成したのは十数km程度とされます)。
- 🕯️ 大きな犠牲日本軍は約2万人がほぼ全滅に近い形で戦死し、アメリカ軍も約6800人が戦死、負傷者を合わせると2万人を超えました。
1944年、硫黄島に新しい指揮官・栗林忠道中将がやってきます。アメリカで学んだ経験のある栗林は、それまでのやり方を改め、地下に陣地を築いて長期戦にそなえます。
パン屋だった一兵士・西郷は、身重の妻を残して召集されました。「生きて帰りたい」という思いを胸に、過酷な戦いの中を生きのびようとします。
指揮官と一兵士、立場のちがう2人の目を通して、戦場の日々が描かれます。
クリント・イーストウッド監督は、同じ硫黄島の戦いを、アメリカ側から描いた『父親たちの星条旗』と、日本側から描いたこの作品の2本で映画にしました。
同じ戦いでも、どちらの立場から見るかで、見える「正しさ」や「悲しみ」はちがいます。2本を見比べると、どちらの兵士も家族を思う一人の人間だったことが見えてきます。
- 🗣️ ほぼ全編が日本語アメリカ映画ですが、セリフはほとんど日本語です。
- 🏆 受賞アカデミー賞で作品賞など4部門にノミネートされ、音響編集賞を受賞。ゴールデングローブ賞外国語映画賞も受けました。
アメリカの俳優・監督。『許されざる者』『ミリオンダラー・ベイビー』でアカデミー監督賞を受賞しています。この作品では、かつての「敵」の側に立って戦争を描くことに挑みました。製作にはスティーヴン・スピルバーグも加わっています。
冷静な指揮官でありながら、家族に絵入りの手紙を書く、温かい父親の顔も持つ人物を演じました。
戦争に疑問を持ちながら生きのびようとする、ふつうの若者。観客に近い目線の主人公です。
1932年のロサンゼルス・オリンピック馬術の金メダリスト。アメリカ兵とも心を通わせる場面があります。
- ① 手紙に書かれた日常家族の健康、子どもの成長、庭の野菜。手紙には「ふつうの暮らし」への思いがあふれています。
- ② 捕虜の母の手紙日本兵が、アメリカ兵の持っていた母からの手紙を読む場面があります。敵の母親も、同じことを書いていたのです。
- ③ 「玉砕」への疑問命を粗末にする命令に、登場人物たちはさまざまに葛藤します。
➡ 相手を「敵」としか見られなくなることが、戦争を続けさせてしまうのかもしれません。
🌱 今日のまとめ
戦場の兵士にも、帰りを待つ家族がいました。それは、敵も同じでした。
- 1945年2月〜3月、硫黄島で日米の激しい戦いがあった。
- 映画は、地下から見つかった手紙をもとに兵士の日々を描いた。
- 同じ戦いをアメリカ側から描いた『父親たちの星条旗』もある。
- 相手にも家族がいると想像することが、平和の第一歩になる。
映画のもとになった資料の一つに、栗林中将が家族に送った絵入りの手紙をまとめた本『「玉砕総指揮官」の絵手紙』があります。戦地から、幼い子どもたちに向けて、やさしい絵と言葉を送り続けていました。